もう一昔以上も前、1985年3月末のお話です。
東京で大学生活を過ごした由利ママ(当然のことながら当時はママではない)は、
卒業式を終え、アパートを引き払い、4年間お世話になった東京を後に、実家のある
奈良に戻ります。4月1日からの就職先は、奈良に工場のある電気メーカーです。
一方、大学4年間つきあった彼は、保険会社に入社予定。配属先は未定ですが、
同じく下宿を引き払い、研修に参加するため、本社のある大阪に行きます。
二人は最後の荷物をまとめ、私の車(10万で買った中古のターセル)に積み込みます。
昼過ぎに出る予定が、もう6時。夕焼けを追っかけ、慌てて中央自動車道へ・・・。
入社式は3日後です。
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それぞれの胸はこれからの期待と不安でいっぱいでした。
ちゃんと社会人になれるだろうか。どんな仕事をするのだろうか。
どんな人と知り合うのか。どこに住むのか。
そして、二人は結婚できるのだろうか。
自然と無口になります。
途中、時間が遅くなったし思い出に1泊していこう、という話になりました。
おもむろに高速を下り、あてもなくたどり着いたのは、清里高原。
まだ夜8時だというのに、静まりかえっていました。
駅にある宿一覧からなんとなく目がとまったペンションに電話。
「今からでも泊まれますか?」「夕飯は終りましたが、泊りだけならいいですよ。」
小さなペンション「りとる・ばーど」。
部屋にはテレビもなく、1階のリビングへ降りていくと、そこは団欒の時間。
何となく居ずらそうにする二人に、オーナーが声をかけてくれました。
「10年後の自分に手紙を書いてみませんか?」
「りとる・ばーど」では、宿泊客が書いた手紙を「タイムカプセル」に入れ、
土に埋めて、10年後に掘り起こして投函してくれるというのです。
二人は半信半疑ながらも、それぞれの思いを込めて手紙を書きました。
封筒には自分の実家の住所を書き、お互いへのメッセージを同封しました。
翌朝二人は大阪へと向かい、それぞれの新しい人生を歩きはじめました。
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そして10年の月日が流れました。
いろんな事がありました。彼の最初の配属先は浜松になりました。
二人の間には、280キロの距離ができました。お互いが何度も行き来しました。
電話代が8万円になったこともありました。泣いたこともありました。
ほとんど別れた状態になったこともありました。
別れ話になったとき、いつも「りとる・ばーど」の手紙を思い出しました。
「このまま別れちゃったら、あの手紙が届いたとき辛いやろうな。」
「こんな事になるなら、あんな手紙書かなきゃ良かった。」
でも、二人とも10年後にあの手紙が本当に届くとは、
正直言って思っていなかったのです。
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1995年6月、由利ママの実家に、1通の封筒が届きました。
60円切手に20円分の切手が追加されています。
差出人は旧姓の私。住所は、清里の「りとる・ばーど」。
手紙の中の10年前の私が問いかけます。「幸せですか?」
手紙を読む私が微笑みながら答えます。「おかげさまで。」
そして、おとうさんの実家にも同じ封筒が届きました。
手紙の中の10年前のおとうさんがつぶやきます。
「もしこの手紙が10年後に届くような奇跡が起こったら、
二人で再びこのペンションにやって来よう。
さらば、学生時代の日々よ。」
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そして1ヶ月後、二人は一緒に10年ぶりの清里を訪れました。
宿泊先は、もちろん「りとる・ばーど」。
オーナー夫妻も建物も、あのときのままでした。
10年という月日を感じさせるのは、二人の娘たちの存在だけです。
子どもたちが寝た後、ロビーにいた私たちに、奥さんが声をかけてくれました。
「思い出に、紅茶はいかがですか?」
紅茶を飲みながら、10年前の思い出話。本当においしかったです。
でも、「りとる・ばーど」では、「タイムカプセル」はもうしていないそうです。
「時代が違うんでしょうね。夜は、カラオケやファミコンで遊ぶ人が多くて。
田舎のペンションで時間をもてあまし、10年後の自分に手紙を書く。
そんなのんびりした感覚が、今は無くなっちゃったのかもしれませんね。」
奥さんが少しさみしそうに、話してくれました。
10年後への自分へ手紙を書くゆとり・・・
もしかしたら、私たち自身も失いかけていたのかもしれません。
この思いを忘れずに、また、10年後に「りとる・ばーど」を訪れたいと思う二人でした。
1995年7月 清里高原(*)「りとる・ばーど(*)」にて。